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2014年3月15日土曜日

スピリチュアルメッセージ Vol.6



スピリチュアルメッセージを久しぶりにupしました。

よく、「全ての望みは叶うためにある」「叶わない願いはない」という言葉を耳にしますが、それが意味するところやその仕組みを教えてもらいました。

私たちが体験することは全て心の反映です。思考、思い込み、観念。そういったものの中で、より強く信じている概念が表現されます。

自分が持っている観念に気づき、それが好ましくないものであれば変えることにより、現実も変わります。

本当は時間も距離も存在しない、ということを体感しやすい空間になってきたようで、わくわくします。

スピリチュアルメッセージ Vol.6
http://www.lotus-at-lotus.com/message06.html


2014年2月13日木曜日

「好き」を確認

 

「本日のカード」を始めて、もうすぐ1年になります。私は子供のときから何かを続ける、コツコツと努力する、というのが苦手で、「本日のカード」を始めるときも、「本日」ではなく、「今週のカード」くらいにしておいたほうが無難なのでは、と思いました。

それが自分でも意外なことに、旅行などで留守にしていた日以外は毎日カードを引くことができました。

今まで何かを始めても、二日も続かず、三日坊主にもなれないことがよくあった私には驚きです。本当に好きなことなら続けられるのかもしれません。

もしあなたも一つのことを続けるのが苦手で、それは自分の意志の弱さのためではないか、と考えているなら、それが本当に好きなことかどうかを確認することをお勧めします。実はそんなに好きなことではなかったり、「好き」と思い込んでいるだけだったりするかもしれません。あるいは、そのしたいと思っていることそのものに惚れこんでいるのではなく、「それ」が有するエネルギーに惹かれているのかもしれません。

続けるのが大切、というわけではありませんが、もし興味の対象が頻繁に変わって、そのことで自分を否定的に見ることがあるなら、「好き」なことチェック、してみるといいでしょう。

2014年1月13日月曜日

フランスの教会(7) Notre Dame de Saint-Denis, Nuits Saint Georges

 

ブルゴーニュ地方の旅の拠点として滞在していたニュイサンジョルジュには、教会が2つありました。初めに訪れたのは、19世紀に建てられたサンドニ ノートルダム教会。

入り口のドアを開けた途端、思わず「うわぁ」と声が出てしまうくらい、光に満ちあふれた空間でした。お天気の良い日だったからでしょう、日光で輝くステンドグラスの窓、そしてあちらこちらの壁や床に映るステンドグラスの虹色の影、本当にきれいでした。写真でお伝えできないのが残念です。


 
 
 
 
 
どの教会にも十字架に架けられたキリストの像がありましたが、この教会のものは他の像とは異なるものでした。上の写真がそうです。他の教会のキリスト像は、頭には茨の冠を乗せられ、両手の平は十字架に釘で打ちつけられ、力なく頭を垂れている姿のものでした。それは象徴だと分かっていても痛々しく、見ているのが辛くなることもありました。一方、この教会の像は色使いが柔らかく、キリストの雰囲気もまるでシャバーサナをしているかのように、穏やかに見えました。こういった雰囲気の像は、他の教会にもあるのでしょうか。
 
帰国してから訪れた都内のキリスト教用品ショップに、素敵な十字架像がありました。私は今回初めて見ましたが、お店の方によると、ミレニアムを記念して2000年前後に多く制作されたものだそうです。
 

 

 
キリストが磔にされている十字架を支えている神。支えている以上に十字架は神の体そのものである、ということ。完全なる信頼と共に、心も身も大いなる存在に預ける。全ては大いなる存在の胸の内で起きている。十字架に磔にされているのではなく、神に身を委ねている。そのような思いが浮かんでくる十字架像でした。
 
 
 
 

2014年1月3日金曜日

フランスの教会(6) St-Benigne, Dijon


ディジョンは14~15世紀に栄えたブルゴーニュ公国の首都です。当時建てられた教会や貴族の館が美しい街でした。




私たちが訪れたのが日曜日だったためか、街は閑散としていました。ほどんどのお店が閉まっており、開いていたのは美術館。



 美術館の後に訪れたのは、St-Benigne大聖堂。

 
 
大聖堂のドアを開けると、パイプオルガンが大きな音で響いていました。パイプオルガンが有名な教会らしく、日本のオルガン奏者も多く訪れるそうです。
 
地下のクリプトも美しく、またまた長居したくなる教会でした。

 


パイプオルガンにまつわる思い出があります。

地方から東京に遊びに来ていた友人と会う約束をしていた日のことです。特に何もしていないのに、出掛けに姿見が倒れて、鏡が粉々に割れてしまう、ということがありました。家を出る1分前にそんなことになり、できればそのままにして、帰宅してから片付けたかったのですが、当時犬と一緒に暮らしていたので、そうもいきません。犬が破片を踏まないよう、慌てて避難させ、割れた鏡を片付けました。めったに会えない友人を不慣れな場所で待たせることになり、なんでこんな時に~、と思いながら大急ぎで片付け、待ち合わせ場所に向かいました。遅刻を詫びる私に友人は「遅れてきてくれてありがとう!」と。聞くと、待ち合わせ場所の近くでパイプオルガンの演奏があり、私が遅れた時間の内にちょうど一曲聴きに行くことができた、それがとても良かった、とのこと。友人を待たせたくはなかったし、姿見が割れたのも残念でしたが、その結果、友人がいい時間を持つことができた、という出来事でした。

ある出来事の一コマだけを取り上げると、残念だったり、イライラの理由になったりするようなことでも、その次のコマと繋げると、楽しいことの起点となっていた、ということがあります。

ある日、駅のキオスクで買い物をしようとしたときのことです。ガムやアメといった、ごく一般的な物を買おうとしたのですが、店員さんが「値段が分からない」と、ファイルを出して調べ始めたのです。正確な時間は分かりませんが、かなり長い間ファイルのページをめくっていました。素早さが売りのキオスクなのにどうしちゃったんだろう、と思いながら、急いでいたわけではなかったので、値段を調べてもらって購入しました。キオスクを離れて駅の構内を歩いていると、長い間会っていなかった友人が向こうから歩いてきます。偶然の再会を喜び合いながら、キオスクでいつものようにすんなり買い物が済んでいたら、タイミングがずれて、友人とは会わなかったかも、と思いました。

こういったことがそれから数回ありました。それ以来、どこかで思いがけず待たされたり、あまり嬉しくないことがあったりしたときは、その後に「偶然」と思える何かがやって来るのかも、と楽しみにするようになりました。友人が聴けたパイプオルガンのコンサートのように、楽しいことは私自身が体験するとは限らないので、私の知らないところで起きているかもしれません。

会うべき人とは必ずどこかで会うので、一度のタイミングのずれは問題ではありません。また、何かの機会も、一度逃したとしても、何度もやってきます。そのお膳立てのために宇宙がするタイミング調整、とても興味深いです。



2013年12月21日土曜日

フランスの教会(5) Saint-Michel, Dijon

 
 

 
ディジョンのサンミッシェル教会も美しい場所でした。人気がなく静かでありながらあたたかい雰囲気で、いつまでもいたくなる空間でした。
 



 

 
今回の旅で訪れた教会の中には、音楽がかかっているところもありました。パイプオルガンの演奏だったり、CDだったり。音楽には力があります。音楽が持つ雰囲気作りの力は誰もが体験したことがあるでしょう。音楽は、その場のエネルギーに変化をもたらします。楽器演奏もそうですし、人の声もそうです。特に、演奏者や歌い手が技術的に上手に演奏しようとしたり、歌おうとしたりせずに、自分を表現の手段として、エネルギーの通り道としてあろうとしたとき、あるいは純粋に楽しんでいるときに、それは大きく動きます。
 
音楽は私たちに与えられた素晴らしいギフトであると感じます。気持ちが沈んで、そこから出たいのに、気分を変える行動を取る気にもならないときってありますよね。そういう時は音楽を聞くと、沈みから引き上げてくれます。そういう時用に曲を選んでおいたり、プレイリストを作っておいたりするのもいいでしょうし、その時々で聞きたいと思う曲をかけるのもいいでしょう。
 
ヒーリングミュージックやクラシックはいいけれど、ポップスやロックは波動が低いんですよね、という質問を受けたことがあります。ジャンルに関わらず、悪意を感じる曲というのはあります。「このジャンルはいい」「このジャンルはだめ」という線引きはできなくて、ジャンルによって、あるいはアーティストや曲によって、効能というか、働く作用が異なるように感じます。ヒーリングミュージックで癒されなくても、聞く人によってはうるさい、と感じるロックで癒されることもあります。
 
心と体のどの部分、またはどのチャクラに響いているかを観察しながら音楽を聞くのも興味深いことです。楽曲の働きかける力が強いときには、観察するまでもなく、感じることができます。
 
以前、インドのアムリッツァーにあるシーク教の聖地で耳にしたお祈りの言葉と音楽は、全てのチャクラを洗い清めてくれるように感じました。寺院のスピーカーから流れるお祈りを聞くともなしに聞いていたときのことです。(アムリッツァーを訪れたときについて)
 
また先日、あるライブに行ってきたのですが、その人の歌と演奏はハートと喉に響いていました。ジャンル分けするなら、ポップス・ロックになると思います。観客を楽しませたい、来てくれた人に感謝を伝えたい、という思いがそのアーティストの歌と全身から溢れているように感じました。
 
 

2013年12月16日月曜日

フランスの教会(4) Beaune

 
 
城壁に囲まれた可愛らしい町、ボーヌ。ゆっくりお散歩するのにぴったりな石畳の町並みでした。この町で訪れたのは、Notre-Dame教会。フランスには沢山のノートルダム教会がありますが、ノートルダムとは「私たちの貴婦人」という意味で、聖母マリアを指します。

この教会には、聖母マリアの生涯を描いたタペストリーが飾られています。15世紀のものという、そのタペストリーをはじめとして、美しいものが数多くある教会でした。

教会にいると、ふわぁ〜っと頭から上の方に抜けていくような、気持ちのいい感覚に満たされることがしばしばありました。教会にいるときだけではなく、普段もふとしたときにそういった感覚を覚えることがあるのですが、教会に満ちているエネルギーと高い天井のお陰で、そういう感覚になりやすかったようです。

その感覚を一言で表すなら「アーナンダ」。ヨーガをしている方にはお馴染みの「至福」と訳されるサンスクリット語です。アーナンダには、満ち満ちている、遍在する、という意味もあります。

私たちがいる世界は、多種多様に見えますが、全て同じものからできています。また、私たちは、たくさんの異なるものが存在しているかのように振る舞っていますが、本当は一つのものしか存在していません。遍在していて、満ちていて、そのものであるもの。

誰かと、あるいは何かと一体感を覚えるときに感じる喜びは、「一体感」が私たち本来の姿を思い起こさせる感覚だからかもしれません。昨今の「一体感、繋がりたい」には、これに様々な欲や不安定さが混じっているように感じます。といっても、それらの欲なども本をただせば、一つの点にたどり着くのですが。
 

 
ボーヌは「ブルゴーニュワインの首都」と呼ばれる町で、観光客で賑わっていました。この町では毎年11月に「栄光の3日間」という、ワインのお祭りが開催されるそうです。利き酒騎士団(!)の入団式や世界中からワイン商が集まるワインオークション、それに伴うテイスティングで大いに賑わうそう。
 
町のあちこちに飾られている花、可愛らしいお店たち、石造りの建物、そして楽しそうな観光客。ボーヌ、素敵なところでした。
 
 
 

2013年12月14日土曜日

フランスの教会(3) Tournus

 
 

 
ニュイサンジョルジュから列車で南に50分程行ったところに、Tournusという町があります。起源は紀元前1世紀頃という古い町です。TournusではSaint Philibert修道院を訪れました。がっしりとした岩色の大きな建物の中に、優しい光が満ちている教会でした。
 

 
 
 
世界には異なる体系の聖なる教えがあります。比較的長い歴史を持った宗教だけではなく、ニューエイジやスピリチュアルと呼ばれるものもあります。どんなに素晴らしいとされている教えでも(数多くの人が称えていても、あなたが尊敬、信頼している人の言葉でも)、その教えや言葉が聖なるものなのではなく、それを耳にしたときにあなたの内側で起こる感覚や変化が聖なるものなのです。教典や教義、チャネリング本があなたの道しるべになるのではなく、それらに書かれている言葉によって触発されるあなたの心持ちと行動があなたの指針となります。何かや誰かに頼りたくなることもあるでしょうが、あなたの心と体を100%、本や教えに預ける必要はありません。インスパイアしてくれる言葉たちに感謝しながらも、軸はあなた自身に置きましょう。
 


2013年7月28日日曜日

フラワーエッセンス

今度の週末(8/3, 4)は「癒しフェア」でスピリチュアルリーディングセッションをします。

「癒しフェア」は、日本で一番大きなヒーリング関連のイベント。セッションなどのサービスだけではなく、様々なヒーリンググッズの販売もあります。

数多くあるヒーリンググッズの中で、使うたびにすごいな~、と思うのは、フラワーエッセンス。たくさんのメーカーがあり、独自の作り方をしているメーカーもあるかもしれませんが、フラワーエッセンスの基本的な作り方はいたってシンプル。

水を張ったボウルに花や植物を浮かべ、日光の下に数時間置きます。これにより、植物のエネルギーが水に転写され、フラワーエッセンスができあがります。

私が初めてフラワーエッセンスを摂ったのは、学校の課題文を書くためでした。当時、オーストラリアのナチュロパシーのカレッジで勉強していて、科目の中にバッチ博士のフラワーエッセンスがあり、授業の一環として、幾つかのフラワーエッセンスを摂り、その変化を記録する、というのがありました。

深く考えずに、「課題だから」という軽い気持ちでフラワーエッセンスを摂ったところ、摂り始めてすぐに、それまでずっと悩んでいた自分の性格の一面がすっかり姿を消してしまいました。このときは本当に驚きました。その性格のお陰で、回り道をたくさんした、と感じていたので、もっと早くにフラワーエッセンスと出会いたかった!とも思いました。

フラワーエッセンスの効果の出方には、やはり個人差があり、じわじわ効いてくる人と、すぐに変化が出る人といるようです。私は、早く出る方で、摂って30分後には変化が起きることがよくあります。そのように分かりやすく変化が出るお陰で、フラワーエッセンスの効果をより実感しているのかもしれません。

夫がオーストラリアン ブッシュ フラワーエッセンスのプラクティショナーで、家には69種類のエッセンスがあるので、実験も兼ねてちょこちょこ摂っています。フラワーエッセンスは間違ったものを選んでも副作用というものはなく、変化が出ないだけなので、摂ってしばらく経っても、何も起きないこともあります。一方、その時に合ったエッセンスを摂ると、関連したブロックが浮上してきて、気づきがあり、ブロックを手放すことができます。

分かっているけれど変えられないこと、努力が続かないこと、もっと向上させたいこと、原因は分からないけれど自分を困らせている自分の性格の源などに働きかけ、変化を起こしてくれます。

私自身は、「このフラワーエッセンスを摂ったら、こんな変化があった!」と変化を楽しんでいるだけなのですが、フラワーエッセンスは非常に奥深いもののようです。例えば、エッセンスに使われている植物とそれがもたらす変化の関係も、密接なものです。妹がバッチ博士のフラワーエッセンスを長年勉強しており(もはや研究と呼びたいくらい!)、また、大学で森林関係を専攻した樹木医でもあるので植物に詳しく、各エッセンスに使用されている植物の形、生態や性質とそのエッセンスがもたらす変化の繋がりを教えてくれることがあり、そこに宇宙の深さを感じます。植物からの贈り物、と呼ばれるフラワーエッセンス、知れば知るほど興味深いです。

フラワーエッセンスは本当におすすめです。どれを選んだらいいか分からないときに、選ぶのを手伝ってくれるお店もあります。私が行ったことがあるのは、東京 飯田橋のネイチャーワールド http://www.natureworld.co.jp/ 。ペンデュラムで選んでくれました。

フラワーエッセンス、ぜひ一度お試しを!


2013年5月30日木曜日

瞑想



静かに座る時間を持つだけで、様々な悩みがなくなっていったり、風邪をひかなくなったりします。現状がマイナスであると感じているときに瞑想をするとゼロの状態にまで引き上がり、さらに続けているとプラスの状態になります。そして、しばらく瞑想を続けると、そのプラスの状態が平常のものとなり、以前より一段上の自分が通常の自分となります。一段上の自分、つまりそれまで気になっていたことがなんでもなくなったり、以前ならストレスと感じていたことが通常のことと思えたり。そして、以前よりも楽しいことに気づきやすくなり、特別な出来事がなくとも、毎日が楽しい時間となっていきます。

瞑想しているときは、心身がより高い次元と調和しています。高次元の温泉に入って、ヒーリングを受けていることになります。

私が瞑想を始めたのは、10年以上前にオーストラリアに住んでいたときです。その頃、瞑想についての短い特集番組をテレビで見ました。詳細ははっきり覚えていないのですが、シドニー郊外で中学生くらいの男の子たちに瞑想をさせている所がありました。クラブ活動のように放課後に生徒が集まって、何かのスポーツをしている団体でした。エネルギーが旺盛で、ともすると乱暴な方向でそれが発散されることがあった子供たちでしたが、瞑想を始めてからそういったことが無くなった、という話題でした。「最初はよく分からなかったけれど、我慢して目をつぶり続けていく内に、心が静かになって、その後温かいものに包まれるような感覚になった。今は瞑想が大好きで、よくしている。」と、少年の一人が話していました。私も瞑想に対してその少年と全く同じように感じていたことをよく覚えています。

瞑想は続けるとその良さが分かり、良さが分かるようになると、瞑想せずにはいられなくなります。もしあなたが瞑想を始めたばかりなら、しばらくちょっと我慢して、続けてみてください。また、ヨーガのアーサナや呼吸法とセットで瞑想することをお勧めします。アーサナと呼吸法で心を安らかな流れに方向付け、安定した瞑想を行えるようになります。


2013年5月27日月曜日

今に存在する

一瞬一瞬と向き合い、今を大切に過ごしていれば、楽しい未来は自動的に手の中にあります。この先どんなことが起きるか、どういうことをしているか、ということを心配したり不安に感じたりする必要は全くありません。しかし、未来に思いをはせ、過去を悔む習慣が身についている私たちには、今という瞬間に集中して生きるのは難しいように思えます。「今」と思えた瞬間は、一瞬にして過去になり、「未来」と考えた時は、いつの間にか今になります。カレンダーや時計を利用して、記憶や想像、予想に頼れば過去、現在、未来を把握できますが、それらがなければ、私たちは時間という概念の中で迷子になってしまうかもしれません。確かなのは、今という瞬間であり、今と向き合うことです。

本来、今に向き合うのはごく自然なことで、意識しなくともそうあるものです。でも、過去と未来へ思いを行ったり来たりさせることに慣れてしまっていると、「今に在る」練習が必要かもしれません。練習には様々な方法がありますが、ヨーガもその一つです。
 
Lotus@Lotusのヨーガレッスンでは、呼吸と姿勢を調え、体内外に流れるエネルギーにフォーカスします。呼吸と姿勢に変化が生じることで、肉体がより健やかになる、というメリットもありますが、呼吸と姿勢を調え、エネルギーを感じる作業によって、「今に存在する」感覚が分かるようになります。「今に在る」ようになると、心と体本来のエネルギーが回復します。そして、穏やかな高揚感に心が満たされ、自分の中に力強さを感じるようになります。

私自身、常に「今に存在」できているわけではありませんが、以前よりは、「今に在る」ことが増えてきました。そして、「今に在る」ときと、そうではないときの感覚の違いが分かるようになってきました。また、それぞれの状態の結果である現実が異なるということも分かるようになり、「今に在る」ことの心地良さと大切さを感じています。


2013年5月23日木曜日

シンクロニシティ




偶然があると嬉しくなりませんか。「こんなことがあったの~」とお友達に話したくなりませんか。全ては起こるべくして起きていると分かっていても、「おぉ!」というタイミングで起きたことに、私はワクワクします。その興奮を友達に伝えたくて話を始めるのですが、自分の嬉しさを上手く言葉に変換できず、もどかしくなり、最後は大抵「意味分かる?分かる?」で終わることになります。そんな気持ちだけが先走っている話でも、優しい友人たちはニコニコしながら黙って聞いてくれます。
 
偶然に出会うと、どうして嬉しくなるのでしょうか。

それは自分が大きな力に見守られている、大きな力は自分のために働いている、自分も大きな力の流れの一部なんだ、ということを無意識に感じるからです。

普段そのようなことに興味がなくとも、私たちの潜在意識には、自分が大きな存在の一部であること、そして以前はそれをもっとはっきりと感じていたこと、そしてその状態にまた戻りたいと熱望していること、そういった想いが組み込まれています。そして偶然に出会うと、潜在意識にあるそれらの想いが反応し、懐かしい感覚を思い起こさせて、嬉しくなるのです。

偶然!と思う出来事があったら、「わぁ~偶然」という嬉しい驚きの底に流れている感覚にも目を向けてみてはいかがでしょう。自分の源を感じるきっかけになるでしょう。
 
 




 
 

2013年5月9日木曜日

無料モニター募集  意志の力がいらないダイエット


ダイエットが続かない真の理由や過剰な食欲の原因を見つけて対処するセッションです。

十分な量の食事をした後に何かを食べてしまったり、気分を落ち着かせるために食べ物に手を伸ばしたりすることはありませんか。

それが時々なら大きな影響はありませんが、毎日続くようになると、体に負担をかけます。また、もう止めよう、と思いながら食べ続け、罪悪感にとらわれ、落ち込むこともあるでしょう。

もう食べないほうがいいと分かっているのに食べてしまう、これが最後の一口と思いながら食べ続けてしまうのは、意志が弱いからではありません。体がそれを必要としているからです。

正確には、心がその食べ物が持っているエネルギーを欲していて、それを体内に取り込むよう指令を出しているのです。

私たちの心と体は、最適の状態であるように、常に様々な調整をしています。止まらない食欲もその調整の表れです。心身が必要としていることなので、意志の力で止めようとするのは、なかなか困難です。

セッションでは、心が食べ物から取り込もうとしているエネルギーを見極め、対処法を見つけます。食べ物に頼らなくとも、あるいは、より健康的な食べ物を代替品とすることで、心も体も満足するようになります。そして、自己評価も高まります。

セッションの無料モニターさんを募集しております。 

お申込みはこちらから

モニターさん募集終了致しました。




2013年3月17日日曜日

瞑想のすすめ ~新レッスンご案内

ヨーガが普及するにつれ、瞑想も広く知られるようになりました。ヨーガには様々な要素があり、それらはヤマ・ニヤマ、プラナヤーマなどとして知られていますが、瞑想はその中でも非常に重要な部分を占めています。ヨーガの各要素はそれぞれ大切ですが、瞑想を切り離したプラクティスを完全なものとするのは難しいでしょう。ヨーガの全ての要素は瞑想のためにあり、また、瞑想は他の要素のプラクティスを数段上のレベルへと引き上げます。
 

ヨーガをされたことがない方も、瞑想に惹かれたり、「瞑想は心と体にいい」と耳にしたりして、瞑想に興味を持っているかもしれません。欧米では瞑想の効果を科学的に測定した研究が数多くなされ、「瞑想をするとポジティブになる、健康にもよい」という概念の裏づけとなるデータが発表されています。ビジネスマン、特に忙しいエグゼクティブの中には瞑想を習慣的に行う人が多く、心身の健やかさのみならず、ビジネスにも成果を感じている、という人が大勢います。

瞑想は道具もいらず、いつでも、どんな場所でもできるものです。瞑想は、私たちが一瞬一瞬呼吸をするのと同じくらい自然であり、欠かせないものです。自然であり、欠かせないものなので、コツが分かれば、とても簡単にできるようになるものです。一度瞑想をしてみたけれど上手くできなかった、すぐに雑念が湧いてくる、無になるってどういうことか分からない。そのように思ったことはありませんか。瞑想には様々なアプローチ法があります。クラスでは、色々な瞑想の仕方をお伝えします。
 
これまでプライベートレッスンのみであった瞑想クラスのグループレッスンを始めました。また、瞑想が初めての方に基礎から始めていただける「初めての瞑想 step by step」コースもあります。
 
スケジュールなどはこちらから

2014年3月追記
現在、新規のグループレッスンの受付けをお休みしております。


 


 

2013年2月23日土曜日

「嫌い」と向き合う

本日のカードに「「嫌い」なものには「好き」なものと同じくらいあなたに役立つ情報が含まれており、最終的には喜びを与えます。」という言葉がありました。

私自身も嫌いなものと向き合ったおかげで、大きな一歩を前に踏み出せたことが何度もあります。何かを嫌う原因が分かると、振り子が反対側に振れるように自分の中にスペースができ、そこにポジティブなエネルギーが流れ込み、やがて現実に反映されます。

また、苦手なものを目にすると、一瞬の内に肉体は緊張し、通常の体内活動がストップされます。それが頻繁に起こると、心身の不調へと繋がります。

嫌いなものと向き合い、その意味を知ることには幾つものメリットがあります。ぜひ取り組むことをお勧めします。

とは言っても、嫌いなことに向き合うのは容易ではないこともあります。そんなときは、あなたのことを価値判断しない家族やお友達に話し相手になってもらい、一緒に取り組んでもらうとよいでしょう。

知っている人には話したくない内容だったり、心当たりの人がいなかったり、というときは、セラピストやヒーラーとお話しするのもよいでしょう。Lotus@Lotusでも、"カードリーディング/占い"と"スピリチュアルリーディング"で、お話をうかがっています。内容にまとまりがなくても大丈夫です。「○○が嫌い...」という一言をいただければ、そこに潜んでいる原因と喜びを紐解きます。


2013年1月25日金曜日

今の時期の過ごし方

今年に入ってから、なんとなくすっきりしない、と感じている人が多いようです。体調が思わしくなかったり、落ち込みがちだったり、夢見が悪かったり、小さなアクシデントが続いたり。かく言う私もその1人です。それについてガイドに訊いてみると、私たちの時間の捉え方が変わってきているのが理由、とのことでした。

従来、私たちは時間を過去・現在・未来が一直線に流れているものと理解していましたが、本来の「今ここ」に捉え方が近づいているようです。

捉え方が変わるにつれ、起きることも変わってきています。今までは、過去に起きたことは過去に起きたこと、現在は現在、未来の出来事は未来のもの、と認識してきたために、体験することもそれに即したものでした。しかし、時間への理解が変化しているため、過去の出来事を今体験したり、未来のことを先取りしたり、ということが起きています。顕在意識上では時間に対する理解に変化が起きていない人も同様です。

宇宙はカルマの法則、原因と結果の法則で成り立っています。ある種を蒔いたら、その実は必ず育ち、収穫するときがやってきます。種まきから収穫までの時間は様々で、1つの人生には収まらないことが多々あり、また、1つの人生上でも忘れたころに収穫のときがやってきます。その収穫のときを今集中的に体験しているようです。過去生を含めた過去に未解決だったこと、そして未来生を含めた未来に体験する予定だったものを、今の時点で体験しているのです。

以前と比べて体験する出来事が増え、無意識の内にも心や体に到来するものが多くなっているため、いつもより心身を重く感じることがあります。いつもの自分でいられない、と感じる人もいます。なんとか普段のすっきりした自分を取り戻したい、と思っている人もいるでしょう。

そのように感じる期間は長くはありません。新しい流れに慣れれば、いつもの自分でいられるようになります。そして以前の状態よりも軽さを感じられるようにもなります。

また、今はお得な期間のようです。本来なら時間がかかり、どっしりと重みのある収穫も、今為されるものは一瞬の内に軽く終わります。そして空いたスペースを別のことに使えるようになります。なんだか調子が悪いな~、どうしてこんなことが起きるんだろう、と感じたら、ちょっと立ち止まってそれが自分に何を伝えようとしているか観察し、何も浮かび上がってこなかったら、今の自分の意識が及ばないところで蒔いた種の結果として、「これで済むならいいよね」と一度受け止めてから、その出来事には執着せず、流してしまいましょう。

2013年1月16日水曜日

思考が創造する現実 part 3

(part 2より)

前回の滞在で、予定通りに事が進まずとも、それよりも望ましい物が手元にやってくる、ということを体験したので、今回もその姿勢で、そして、1秒たりとも不安にならない、状況を疑わない、というのをテーマで旅することにしました。また、本当に望んでいることだけを考える、という期間にもしようと思いました。前回の滞在中、○○に関する情報が欲しいな、と思っているとそれを持っている人と出会ったり、友人との約束の時間までまだ間があるからどこかで時間調整を、と思っていると、通りの向こうからその友人が現れてその必要がなくなったり、と思考が現実に現れやすい場所、という印象を得ていました。どこにいても、日本にいても、現実は思考の結果なのですが、時差があるために気づきにくく、想いと現実化の関係を忘れていることが多いと思います。この土地ではその時差が少ないので、自分の思考や想いを確認するには、とてもよい場所です。

「1秒たりとも不安にならない」とつぶやきながらインドの国際空港に着くと、手配していた迎えの車が来ていません。「不安にならない」というテーマを早速実践かしら、と思いながらホテルに電話をしていると、慌てた様子のドライバーがやってきました。ホテルに無事到着し、その日は休み、翌朝目的地への列車に乗りました。

目的地で列車を降りたら、そこからはオートリキシャです。リキシャに乗ったのはいいのですが、ドライバーは何度も車を止めて、通りすがりの他のドライバーと話をしています。現地の言葉は全く分からないので、一瞬、「何だろう、何をしようとしているのだろう」と不安がよぎったのですが、「不安にならない」というテーマを思い出し、思い直すことにしました。ゲストハウスに着いてから、宿の人が、「メインエリアから少し外れた場所にあるので道が分からなくて何度も訊いて、時間が余計にかかってしまって申し訳ない」とドライバーが伝えて欲しいと言っている、と教えてくれました。

チェックイン後、通された部屋は眺めも日当たりも悪い部屋。河に面した部屋は予定が変わって今日は使えない、とのこと。あれ程念を押したのに~、と思いながら、いやいや「状況を疑わない」をするいい機会よね、と思い直し、部屋にいても楽しくないので、ガンジス河に行くことにしました。河はそこに見えているのに、下りて行く道が分かりません。人通りもなくて道を尋ねることもできないな~、とウロウロしていると、門を閉めて中へ入ろうとしている女性の姿が。その方は、ヒンドゥー教のスワミが着るオレンジ色の衣をまとっています。「すみません!」と呼び止め、道を尋ねると、「1人でいる女性にすすめられる場所はないわね~」との答え。そして、「あなたは日本人?韓国人?私はずっと前に東京に住んでいたことがあるのよ。キリスト教のシスターで、○○に属していたの」と。その○○とは、夫の勤務先です。これは偶然で片付けられません~、と思いながらふと横を見ると、壁に時間割のようなものが書いてあります。そのことを尋ねると、そこはキリスト教の小さなアシュラムで、瞑想の時間を設けている、とのこと。誰でも参加できるとのことだったので、その日の夕方にお邪魔する約束をしました。

河原に行くのはその日はあきらめて、ランチをし、夕方にアシュラムを訪ねました。小さな建物の一角に小さな瞑想ルームがあって、正面にはキリストの絵が飾ってあります。教会のような雰囲気がありながらも、瞑想はヒンドゥー教のチャンティングで終わりました。以前から、キリスト教のバックグラウンドがある方にヒンドゥー教のお話をうかがいたいと思っていたので、嬉しい~♪と心の中で叫びながら、誘ってくださった夕食を共にしました。夕食の席には、南インドと南米から来たシスターもいて、美味しく楽しい時間を過ごしました。それからの数日間は、1日に何度か瞑想のクラスにお邪魔し、日曜日には教会に連れて行ってもらったりして、スワミたちと一緒に時間を過ごしました。

ゲストハウスからアシュラムへ行く道の途中に、建築工事をしていて、足場の下を歩かなければならない場所があります。前日までは何も考えずに歩いていたのですが、ある朝、「インドの工事現場って日本より基準が甘そう、事故とか起きないのかな、大丈夫かな」、といった考えが急に浮かんできました。その瞬間、小石が落ちてきて頭を直撃。「大丈夫かな」と思ったのと同時に小石が落ちてきたので、びっくりしました。そんなの偶然、と思われるかもしれませんが、「大丈夫かな」と「小石直撃」の絶妙なタイミングが、心配するとその通りになる、ということを教えてくれているように感じられました。

今回ガンジス河のそばで瞑想したい、と考えたのは、以前から抱いていた疑問に対する答えを得たい、と思ってのことでした。その疑問とは、この世の土台のようなものについてです。しかし実際にガンジス河のそばに座っていると心が満たされ、瞑想すると至福感が広がっていき、疑問に対する瞑想はしていませんでした。最後の夜、スワミが「訊きたい事があったらなんでも質問して」と言ってくれたので、その疑問について話してみました。そしてスワミの口からもたらされた答えは私の心に強く響き、それからの私の基盤となっています。この土地に着いた初日にスワミに出会い、ガンジス河への道を尋ねました。ガンジス河へ行きたかったのは、疑問への答えが欲しかったら。スワミから行き方そのものは教わりませんでしたが、疑問への答えをもらいました。答えが聞けたことに感無量の私に、彼女は言いました。「質問が口にされたとき、神への門が開かれる」と。クライアントさんにリーディングをさせていただくとき、この言葉を思い出します。

スワミが伝えてくれた答えを再確認するような出来事が空港のある町へ戻る列車の中で起きました。留学中の友人が駅まで見送りに来てくれ、一緒に列車に乗り込もうとしているとき、友人の知り合いも同じ車両に乗ろうとしているのに出会いました。数日前に友人が学んでいるアシュラムですれ違い、その時に「この人と帰りの列車が一緒になるかも」と思った人でした。予感が当たったわ~、と思いながらも、座席は離れていました。列車が動きだし、友人にさよならしてから座席に戻ると、隣の席の男性が「妻と並んで座りたいから席を替わってもらえないか」と頼んできました。「いいですよー」と、奥さんの席に行くと、その隣の男性が「家族と一緒に座りたいので席を替わってくれませんか」と。再び、席を移動すると、なんとそこは、友人の知り合いの隣りの席でした。

こんなに席があるのに、隣になるなんてすごい偶然だねー、と言いながら改めて自己紹介をし合い、インドで学んだこと、これからしたいこと、恋愛や政治など、色々なことに話が弾みました。列車に乗っている5時間近く、ずっと話し続けました。その中で、彼が「どうして人は子供を欲しがると思う?」と訊いてきました。私の考えを話すと、「それも確かにあるだろうけど・・・」と彼の考えを話してくれました。その内容は、前日の夜にスワミが話してくれたものと同じものでした。私がスワミにした質問は異なるものでしたが、彼の口から出てきた言葉はスワミが話してくれたものと全く同じものでした。そして、それを話しているときの彼の瞳が、それまでの彼のものとは全く違っており、何かより高い次元の存在の瞳のように見えました。スワミが伝えてくれた答えを再確認してくれている、と強く感じました。

2度目の旅では期待していた通りに事が進まないと、「残念・・・」とちょっと落ち込み、しばらくすると当初予定していたものよりもこちらのほうがいいかも!と思うものが目の前に用意される、ということが何度か起きました。3度目の旅では、「残念」と落ち込むのはやめて、それが何を連れて来てくれるかをワクワクしながら待ってみました。こういうことがあったらいいな、という希望を持ちながらも、それにとらわれずに流れにまかせてみると、期待していたことよりはるかに素晴らしいことに出会える。また、思考や想いがそのまま現実となって現れる。そして全てはベストな方向に進んでいる。そのようなことを何度も確認させてくれた2つの旅でした。

2013年1月13日日曜日

思考が創造する現実 part 2

(part 1より)

コンファレンス中に、ニューヨークで活躍している、という若いアーユルヴェーダの医師と知り合いになりました。先祖代々アーユルヴェーダドクターで、名前を言うと誰もが知っている方のようです。その方が、いずれ日本でも講演会をしたいからサポートしてくれないか、といった話を顔を合わせるたびにしてきます。いくら有名な方でも、私自身がよく知らない人を推薦したりはできないし、かといって彼のことを知る時間はあまりないし、困ったな~と思っていました。この件に関しては、帰国してから驚くことになります。ある日片づけものをしていると、「日本で講演会を希望するその道のプロのサポートをしたい」などと書いた願い事メモが出てきたのです。かなり前に書いたもので、すっかり忘れていたのですが、困ったなんて思ってごめんなさい、望んだのは私でした・・・とせっかく願いが実現したのに、時差がありすぎて忘れちゃってた・・・な体験をしました。

沢山の素晴らしい講義を受け、異なる国々から来た人たちと知り合い、充実したコンファレンスは終了しました。次は料理教室への参加です!プライベートレッスンで、何でもリクエストできるとのことだったので、とても楽しみにしていたものです。教室の詳しい場所については、前日に電話をするよう言われていました。はやる気持ちを抑えながら電話をかけると、「この電話は現在使われておりません」というメッセージが聞こえてきます。電話番号を2つもらっていたので、もう1つにかけると、そちらも同じ。私の携帯電話に問題があるのかと思い、何人かの人にかけてもらっても同様・・・。たくさんある料理教室の中から選びに選んだものだっただけに、どうして電話が通じないのぉぉ、と落ち込みました。

落ち込みながらもコンファレンスで知り合った人たちと食事をしていると、「明日からアーユルヴェーダの料理教室に行くのだけれど、誰か一緒にどう?」と私たちに声をかけてきた人がいました。人数が集まればそれだけ安くなる、ということでその人は参加者を募っていたのですが、私にとっては完璧なタイミング。すぐに手を挙げました。

翌日、レッスンは町外れにあるカフェで行われました。アーユルヴェーダの理論に基づいたメニューなのですが、スパイスはあまり使用しないので、香辛料が苦手な人もおいしく食べられるお料理ばかりです。その時習ったメニューの1つがとても気に入り、今も毎日、朝食でいただいています。習った料理の内容も良かったのですが、そのとき一緒に参加した人たちとはとても気が合い、午前中は料理教室、午後は観光、夜は遅くまで色々な話で盛り上がる、という日々をそれからの数日間過ごしました。

師との面談が目的の旅でしたが、それがかすんでしまうくらい様々な実のある体験をした旅でした。最後の日に、出会った人々や体験したことに思いを馳せながら歩いていると、先日電話が不通だった料理教室の看板があることに気がつきました。いつも通っていた道に、どうしたら見逃せたんだろうと思う程の大きな看板が。その教室は、電話で場所を教えてもらうまでもなく、毎日通っていた場所にありました。電話が通じなかった日、メールでその旨を伝えたのですが、返事は帰国する頃に届きました。私のために時間を取っておいてくれた教室には申し訳ないけれど、なんだか力が抜けて笑ってしまいました。初日の宿泊先から始まって、予定した通りには進まなかった旅でした。しかし振り返ってみると、予定していたのものよりもさらに良いものと出会えた旅でした。

そんな旅から2年後、インドにいるチベット人の里子に会いたいね、と家族と話していました。里親としてのご縁をいただいてから5年経つので、1度顔を見せに行くのもいいかもね、と。インドへのフライトは、深夜到着のものがほとんどです。その中で1社だけ、夕方着の直行便がありますが、他社と比べて2倍の航空運賃です。でも夜中に到着するのは避けたいので、それで行けたらいいなあ、と思っていました。ある日、その航空会社のサイトをなんとなく見ていたら、期間限定で破格の運賃設定があることを発見しました。しかも、行きたいと思っていた時期に該当します。迷うことなくそのフライトを予約し、最初の2週間程は1人で過ごし、その後家族と合流することにしました。

以前とは違う土地に行ってみたい、とガイドブックを見たものの、気温が高過ぎて滞在には適さなかったり、女性が1人で過ごすには治安があまりよくなかったりというところばかりだったので、少し残念でしたが、前回と同じ土地に滞在することにしました。そして、現地に留学している友人とたまに会う以外は1人で過ごすので、ガンジス河を眺めながら瞑想三昧にしよう♪と、ゲストハウスも河の近くに予約し、絶対河が見える部屋にしてね、と何度もメールをしました。

(part3に続く)



2012年12月25日火曜日

思考が創造する現実

ニューエイジやスピリチュアルに関わる多くの人が2012年12月21日について語ってきました。その内容は様々ですが、特別な日であるということで意見は一致しています。

スピリットガイドにそのことについて質問してみたところ、次のような言葉がありました。
「これからは心と現実創造の関係がより密になる。以前から心が現実を創造してきた。それには変わりがない。しかし、以前は共通の枠組みがある程度あり、その中での現実創造であった。これからはその枠組みが外れ、ひとりひとりの心がよりダイレクトに現実の創造に表れ、多極化が進む。」

これを聞いたとき、インドのある町を思い出しました。そこでは、考えたことが現実化するスピードが他の土地にいるときよりも速いように感じました。

あるスピリチュアル系のサイトにその町への旅についてのコラムを寄稿したことがあります。以下は、そのコラムです。


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この世界の成り立ちや仕組みを、私にとって分かりやすく見せてくれる土地がインドにあります。この世界は自分の心の現れで、想いが現実化しているということは分かっていても、普段の生活では想いと現実化の間に大きな時差があったりして、そのことを忘れてしまうことがあります。インドのこの土地では、その時差がほとんどなく、また分かりやすく現れ、私に様々なことを教えてくれます。

今まで3度、その土地を訪れる機会がありました。1度目は家族との旅行で、2度目は当時学んでいた師に会うために、3度目はのんびり瞑想しようかな~、という思いで。1度目の旅は、家族のたっての希望につき合って行ったのですが、この旅がきっかけでヨーガを始めたり、体がお肉やお魚を受けつけなくなってベジタリアンになったり、という大きな変化を私にもたらしました。2度目の旅は、起きている出来事をコントロールしようとせずに流れに任せる、ということを以前よりは実践できるようになった頃にしたのですが、「任せる」ということが旅を通して心身にしみ込んで行くような体験をしました。そして3度目は、2度目の旅で実感したことをふまえて、1秒たりとも不安になったり状況を疑ったりしない、というのを心において過ごした旅です。

その当時の師に誘われて、インドへの2度目の旅の計画が始まりました。師の拠点はアメリカで、彼の学校を修了した私のその後の勉強について、メールではなく会って相談しましょう、ということになり、インドで講演会をするからそれに合わせていらっしゃい、という言葉がきっかけでした。


講演会は、他にも内外からの多数の専門家が講義をするアーユルヴェーダとヨーガのコンファレンスでした。コンファレンス会場となっているアシュラムに宿泊し、講義と実技のクラスを受けます。講師陣の中には、私が影響を受けたテキストを執筆した医師もいて、ぜひ参加したいと思う内容でした。

せっかく行くなら、できるだけ多くのことを学び、吸収したい!と意気込んでいた私は、一時も無駄にならないように、コンファレンスの前後に授業を受けられるところを探しました。何日もかけて比較検討し、幾つもの施設とメールのやり取りを何度もした後、完璧なスケジュールを組みました。コンファレンス前はあるアシュラムに滞在して1日数回の授業を受け、コンファレンス後はアーユルヴェーダ料理の教室に参加することに決めました。普段旅行へ行く前はほとんど準備をせず、その場の気分で決めるのですが、この時はかなりの時間とエネルギーを準備に費やしました。しかし、どんなに準備していっても、その時の自分により合うものがあれば、そちらの方向に自然と導かれていく、ということを旅の間に何度か経験することになります。

日本からのフライトは深夜到着だったので、空港のある町に1泊し、翌日目的地に到着しました。予約していたアシュラムの受付で名前を告げると、「そんな名前は宿泊予約リストにはない」と冷たい一言。予約確認のメールを見せると、「あー、確かにうちからのメールだね。でも、もう空室ないから」ときっぱり。仕方がないので、念のために控えておいたゲストハウスに電話をすると空室があったので、そちらに泊まることにしました。

チェックイン後、散歩に出かけました。予定していたアシュラムのクラスに参加するのを楽しみにしていたのに・・・と残念に思いながら人気のない道を歩いていました。すると、後ろから「おーい」と声が聞こえます。振り向くと、少し離れたところから手を振っている男性が。そして、「明日から始まるヨーガクラスのチラシを配ってるんだ、1枚どうぞ」、と。チラシを見ると、聞いたことのない流派のクラスの案内が。予定が何もなくなってしまったので、とりあえず行ってみることにしました。

翌日、あまり期待を抱かずにクラスに参加しました。すると、私が求めていたものにドンピシャ!な授業内容で、びっくり。実は、自分でもどういうものを求めているかがはっきり分かっていなかったのですが、その授業を受けているうちに、これこれこれ!と興奮してきました。それは、その日が初日の3週間コースで、初日はお試し参加が許されているものでした。できればそのままコースを受けたかったのですが、コンファレンスが始まってしまうので無理でした。残念・・・。

コンファレンスが始まるまでの数日間、多くの人と触れ合う機会がありました。その中でも特に、泊まっていたゲストハウスの経営者とは、会うべくして会った、という感じが強くしました。アシュラムに泊まれなかったのは残念だったけれど、それで良かったのかも、と思えるようないい出会いでした。

ようやくコンファレンス初日を迎えました。会場となっているアシュラムに宿泊し、早朝から夜遅くまで1日中講義を受けます。非常に充実した講師陣で、誰のクラスを受けるか目移りしてしまうほどです。そんな中、早朝のクラスを担当している講師の中には馴染みの名前がなく、このクラスが良さそうかな、となんとな~く1つのクラスを選びました。そのクラスの講師は直前に参加が決定した方で、体操のお兄さん、といった風情の方でした。

朝まだ暗い中、アシュラム内に響くけたたましい鐘の音でびっくりして目が覚め(初日の朝は心臓が止まるかと思ったほど大きな音に感じたのに、慣れちゃうものですね、3日目からは全く目が覚めませんでした)、お茶を一杯いただいてから講堂に向かいました。早朝のためか少ない人数でレッスンが始まりました。レッスンが始まってびっくりです!その内容はコンファレンス前に1日だけ参加し、この流派のレッスンをもっと受けたい・・・と残念に思っていたクラスの内容とよく似ていました。似ているだけではなく、こちらの先生の指導の仕方の方が私の好みでした。嬉しい~♪と心の中で叫んでいるうちに、クラスは終了しました。

これよ、これ、こういうのが習いたかったの~、と、すっかりその先生のとりことなった私は、彼が担当する文献のクラスにも出席することにしました。バガヴァッドギーターという、古典テキストの解説クラスです。古典テキストの解説ではあるけれど、テキストの内容を知ることが目的ではなく、それを参照ポイントにしながら宇宙を紐解いていきます。少しインド訛りがある先生の話に聞き入っていると、気のせいか、先生がだんだん薄く見えてきます。映画で透明人間が姿を消すように、まず皮膚が透けてきて、解剖学の教科書で見るような筋肉と血管が浮き出て見えて、そしてそれも薄くなっていき、だんだん後ろの壁が見えてきます。先生を見つめすぎて、目が疲れてしまったのかと思い、他に視線を移すとそこはいつも通りに見え、先生に視線を戻して少し経つと、やはり透明人間になっていきます。どうしたのかしら、と講義後に先生に「時々消えちゃったのですが・・・」と尋ねると、「講義では、この宇宙には1つの意識しか存在しない、という話をしていたよね。その意味を理解したから、そういう風に見えたんだよ」と、よくあること、という風にサラッとお話になりました。

(part2に続く)